射精の時代。
2009年8月号
ピンサロ管理主義
ピンサロ管理主義
どうしてピンサロは地下に多いのでしょう? というご質問を読者代表の方からいただきました。質問の来ること自体が超珍しいことですが、言われてみれば、そんな気もする。データがあるわけじゃないから、本当に地下の店が多いのかどうかわかりませんが、確かに、2階、3階に上がっていくより、下に降りていった方がピンサロらしくて落ち着きますね。特に、この落ち着き加減というのは、おそらく人気店で階段行列している時に感じるようです。
一方、反対に落ち着かないのが1Fの店。以前赤羽に『D』という人気店がありまして、この店は1階にあったのですが、大きな通りに面していて、さらに両隣が別の店だったからオープン前に行っても並ぶところがないわけですよ。ところが、早く行かないとあっという間に満員になって1時間待ち、1時間半待ちになってしまうので、マニアのみなさんオープンの1時間前から集まってくるわけですね。う~む、階段がないから、待っている場所がなくて、店の周囲をウロウロ、ウロウロ。そして、10分前、5分前とオープンが近づくに連れ、みんなジリジリと入り口ににじり寄る(笑)。でも、フライングはダメよん。そういう客は店員に追い払われて、後ろの方へ追いやられるのだった。
そして、1分前! ドドオッと殺到するマニアたち!
ここで最初の20卓分にありつけなかった客は40分間待つハメになるわけですね(店内には20人分くらいの待機席あり)。
と、熾烈なオープン争いをするはめになった1階ならではの人気店のエピソードなんですが、実は、この隣に『Y』というやはり人気のある店があったんです。でも、こちらは地下の店。『D』の周囲が無政府状態、ある種のソマリアだとすれば、こちらは秩序の保たれた北朝鮮ですよ。お行儀よく階段に並ぶ客たち。オープンの時間が来ると、順番に案内されて、みなさんお席につきます。
ぼくの指名していたのは石川秀美ちゃんですね(笑)。この店はお姉さんたちの源氏名がすべて芸能人の名前になっていて、松坂慶子とか、堀ちえみとか、松田聖子といった具合にフルネーム。ピンサロ嬢に一番似合うのはやはり中森明菜でしたが、それはともかく、行儀よく階段に並ぶのは落ち着くとして、システムまで秩序が優先されすぎると、遊びとしては不満な部分が出てきます。
ぼくの提案は、席につくまでは北朝鮮。サービスが始まったらソマリア、というものです。
秀美ちゃんを個人的に気に入っていたので、この店にはよく通いましたが、営業のスタイルが細かくマニュアル化されていて、客の自由がないんですよ。
規則! といえば、かつて関東一の人気を誇った平塚某店の「オマンコに指を入れないと熊のようなボーイに怒鳴られる」というのが一番有名な話ですが、そこまでではないにしても、リストマイクは「気取ったお客さんにはお帰りいただきますぞ」みたいな感じであおりまくっていますね。
それにあわせて、女の子たちはひたすらカポカポ。お話しなんかしていたら本当に追い出されそうな雰囲気があるわけですよ。
というか、実際、ある日のことですが、秀美ちゃんがいなくて別の女の子で遊んだことがあったんですね。でも、嫌な子だったので、サービスさせずにしゃべっていたんですよ。そしたら、とっとと終了コールされて、外に出て時計を見たら30分もたってない。ポーターに文句を言いますね。
「ちょっと早すぎんじゃないの?」
「お客さん気取ってたからじゃないの」
なんたる態度! とはいえ、言い争っても仕方ないわけですね。この店はそういう店なわけです。
さて、みなさんはちょっと不思議な気がするでしょ? なんのために、客を追い出してまで店のスタイルを押し通そうとするのか、と。これは、つまり、さぼる女の子を出さないためなんですね。
当然のことながら、客の中にはサービスよりただおしゃべりをしていたいような人もいる。でも、それを認めてしまうと、女の子が手抜きをして客とおしゃべりしている場合との見極めができなくなってしまうわけです。そこで、この店では例外なくおしゃべりは禁止となった次第。
ま、これ自体はいいのですが、ぼくにとっての問題は、この店に「オシボリ・チェック」というルールがあったことですね。
これもまた、女の子をさぼらせないためのシステムの一つで、ボーイがいちいち女の子の持ってきたオシボリを指でチェックするというもの。
ドピュドピュと口内発射すると、女の子がオシボリにそれを吐き出した後、大きな声で。
「10番テーブル、発射OK!」
そして、オシボリを持ってチェック係のところへ走っていきます。チェック係はそのオシボリを開いてちゃんと精液がついているかどうか指でチェックするわけ。
ひ~! 仕事とはいえ、やりたくな~い!
そして、これを終えてようやく彼女は一仕事をしたということになるわけですね。
確かに、これは絶対に女の子に手抜きをさせないシステムではあるわけですが、ゴックン・マニアのぼくはどうなる?
最初の頃、こんなシステムがあるのを知らなかったので、秀美ちゃんに言ったわけですね。
「ねえねえ、秀美ちゃんってザーメンをゴックンできる?」
「うん、ゴックンは全然OKなんだけど…」
「じゃ、飲んでくれる?」
「ダメなのよお…」
その理由がオシボリ・チェックにあったわけですね。
でも、ぼくはどうしても秀美ちゃんにゴックンして欲しかったわけです。そこで二人で考えついたのが、半分だけ飲んで半分オシボリに出すという策(笑)。
どんなファシズム国家にも抜け道というのは必ずあるものですよ。
ウィンクしてチェック係のところに走っていく秀美ちゃんの姿を見ながら誇らしげな気分になるラッシャーでした。でも、本当は全部飲んでほしいよねえ(笑)。
2009年6月号
風俗蟹工船とピンサロ
風俗蟹工船とピンサロ
先月は、赤羽のピンサロで元高級ソープ嬢に出会い、4千円とか5千円で全身舐めプレイに遭遇した話を書きましたが、ピンサロの醍醐味というのは、風俗で一番安い値段にもかかわらず、「ここまでするかあ!」という嬢を発見することにつきるわけですね。
即尺しかり、アナル舐めしかり、指ズボズボしかり、本番しかり。客が払う金も安いですが、彼女たちにしても一人あたりの客単価3千円前後ですからね。
つまり、毎日20本前後の指名がある人気嬢の月収は約2百万円で、これはそれなりの収入といえますが、月6百人の客で割り算をしてみるとすごい客単価になってしまうわけです。
というわけで、ぼくの場合は、ピンサロ嬢に洗っていないケツの穴を舐めさせたりする時に「お前、3千円でよくやるなあ」とひそかに邪悪な喜びを感じていたものですが、こういうのは最近は感じないですね。
というのも、女の子がどんどんスケベになり、社会的なエロ常識も過激になり、彼女たちが何をしてくれても、そんなものなのかなあ…と思ってしまうから。
でも、ぼくがピンサロにはまっていた80年代から90年代前半というのは、アナル舐めもゴックンもありえないことでしたから、喜びもひとしおだったわけです。
エピソードをひとつ。当時、ぼくはジャンルとして誕生したばかりのザーメン本の編集者をしていたのですが、モデル事務所に撮影の内容を伝えると、まあ、たいていは「顔射? そんなのできる子いませんよ」に始まり、ゴックンにいたっては「いやあ、そんな非常識なことできるわけないでしょ」と怒られてばかりだったわけです。
この話から、当時、ぼくがピンサロ嬢に対して抱いていた感情、喜びがどんなものだったか理解してもらえると思いますが、それにしても、ひどい話ですよねえ(笑)。
当時の基本風俗は、ソープランド、ヘルス、ピンサロです。ソープには高級と格安があり、高級ソープだと5万円から10万円。サービス内容は値段できちんと決まっていました。一方、ヘルスというのはたいてい1万円前後で、サービス内容は、セックスの前戯一式。この場合は、本番できた、できないが客にとっての「得した感」の基準になっていました。そして、ピンサロ。これは早い時間帯で言うと3千円から5千円ですから、格安という意味ではダントツだったわけです。
そういうところで、どれだけ無理難題を女の子にさせるか!
というテーマをもって通いまくっていた青春(笑)。以前にも書きましたが、指名競争が激しいほど、女の子のサービスはエスカレートしますから、花びら回転の店の方がぼくの好みにあっていました。
となると、新宿、渋谷、池袋というメジャーな繁華街を避けて、当時はまず一番に巣鴨、続いて、五反田、大塚、赤羽、錦糸町ということになるわけですね(西川口は当時から本サロばかり)。新小岩、蒲田などにもピンサロはたくさんありましたが、このあたりはおばさんがガハガハとがさつなフェラをして一本抜き! みたいな感じで、客のこちらとしても非常に「貧乏感」を味あわされたので、あまり行きませんでした。
あと、JRの中央線はちょっと特別で、吉祥寺は本番とボッタクリが共存する街、下って荻窪は一対一システムの名店、高円寺は安サロンのメッカ、中野は花びら回転の名店の街という具合に統一感のないラインでした。
でも、中野はすごかったですね。知っている人は「あ~、あの!」と思い出す、某優良店。通いました。週に何度も通いましたよ。自分の事務所が近くの高田馬場だったというのもあって、しょっちゅう行っていたのですが、きちんとした店なので営業時間がルーズじゃないんですよ。10時50分。これが一番最後に入れる時間。
ある時、事務所で急にピンサロに行きたくなって時計を見ると10時半でした。原付で10分で行けますから、あわててバイクに乗り、早稲田通りを疾走するぼく。
あれ? あと、1キロというところでガス欠ですよ。泣きましたね。バイクをその場において走ったけれど、11時をすぎてしまった。ああ、この金玉の重さはどうなる?
でも、この店には大量のザーメンを撒き散らしましたからね。考えてみればたかが3CCの喪失感…。
ですまないわけですよ。実は、この店、少し前まで、ちょっと困ったことになっていて、ぼくが巣鴨でいつも指名していたSちゃんという女の子が移籍してきていたんです。この人、むちゃくちゃかわいい顔をしているのに即アナル舐め! 指名だけじゃなくて、ヘルプの客のケツの穴も舐めるというまさに特攻ピンサロ嬢だったわけですが、ところが、
ぼくには、昔からこの店で指名していたEちゃんというのがいたわけ。こちらは即尺・ゴックン(笑)。
ひえ~っ。同じ店にならないでよ! と、非常に困ってしまったわけですね。つまり、両人が同じ店になってしまったことで、どちらか一方で遊ぶということができなくなってしまったわけです。
仕方がないので、二人を順番に指名することになるわけですが、やはり溜まっているザーメンは飲んでもらいたいから、まずEちゃんを指名して、それからSちゃんという流れ。
でも、花びら回転じゃないですか。その間にも3人、4人とフェラチオしに来ますね。そこに40分×2で80分いるわけでしょ。これは地獄だったわけです。
ところが、Eちゃんが退店することになって、彼女がいなくなったある日、Sちゃんがこんなことを言った。
「Eちゃんやめたから、今度から飲んであげるね」
え~っ! 要するにライバルの女の子と同じサービスはしたくなかったということ。
その「今度」がガス欠の日だったわけですよ。ああ、Eちゃんが飲んでくれるのに、ぼくは明かりの消えた入り口で呆然と立ちすくんでいる。
ぼくの3CC。ぼくの3CC。そんな思い出も今は遠く昔に…。風俗蟹工船と呼ばれたピンサロをめぐるある一日でした。
2009年4月号
客を全裸にして舐め倒したかおりさん
客を全裸にして舐め倒したかおりさん
1990年代の前半はまだまだ花びら回転のピンサロに元気があった頃で、マニアのぼくは東へ西へと自分花びら回転であちこち飛びまくっていました。といっても、実際は、大塚、巣鴨、上野、中野…あたりですが、まあ、とにかく花びら系の店ばかり行っていたので、みるみる被フェラチオ件数が増えて、今から数えなおしてみると延べ2千人ぐらいのピンサロ嬢にフェラチオしてもらったわけですね。
ところが、花びら回転のお店は女の子が過激といってもおのずと、サービスのやり方に限界が出てくる。ゴックンもケツ舐めも、そりゃ感動ものですが、やはりバタバタした雰囲気の中では堪能するというところまではいきません。
かと言って、のんびりした一対一の店では猛烈なサービスに出会うこと自体があまりなく、ぼくはほとんど行かなかったのですが、そんな考えを吹き飛ばしてくれたのが、赤羽の『A』という店のかおりさんでした。
赤羽…。東京北東部を代表するピンサロ地帯で、花びら回転の店『ダーリング』(後に『スターライト』)と女の子の質で勝負していた『ヤングカーニバル』といったところを中心に、その他は小さな店がぎっしりというたたずまいでした。
たまたまその日は、友人2名と待ち合わせをして『ダーリング』に行く予定にしていたのですが、せっかく赤羽まで来たんだからと、友人を飲み屋に待たせて、ぼくだけ探検に出かけたわけですね。そして、たまたま入ったのが、『A』だったわけです。
大きな店ではありませんが、ソファーが長椅子ぐらいあって、人が一人足を伸ばしてゴロリとできるぐらいのスペース。これが5卓ずつ2列並んでいました。一対一の店で時々見かけるスタイルですね。シックスナインをしたりするわけですが、ピンサロ嬢とシックスナインはきついスよねえ…(笑)。
というのはともかく、店内では隣と斜め前のシートですでに先客がカポカポ中。と、そこに現れたのがかおりさんでした。
おおっ、好みのタイプ! 年齢は30歳ぐらい。ムチムチとした肉体で、お尻がプリンプリン! と丸くて大きい。白いミニドレスからお肉があふれそうなフェロモン・ムンムンのお姉さんでしたが、まずはご挨拶のキッスをした後、彼女が最初に言ったセリフがこう。
「じゃ、お洋服、脱いじゃおうね」
自然な反応として、ぼくはズボンとパンツを膝までずり下げます。
するとかおりさんは、さらにズボンをひっぱって全部脱がせてしまいました。そして、さらに、シャツも脱がせようとする。
えっ? お洋服を脱ぐって…。全部脱いじゃうこと? 俺、全裸?
というわけで、3分後、ソファーの上に全裸で座っている客と、ドレスを着たままの女の子というまことに奇妙な光景が出現したのであった。
隣の客がチンポをカポカポされながらギョッとしてこちらを見ています。
さあ、ここからが驚きの連続ですよ。ぼくを全裸にさせたかおりさん、ようやく自分も全裸になって、なんと足の指から舐め始めた! そして、舌はつつーと上にあがっていって、金玉をペロペロ。もちろん、オシボリで拭いていませんよ! そして、さらに舌はアナルにまで伸びて、ベロベロ、ベロベロ。
ひえ~っ。ぼくのかっこうはといえば、ついには両足をもちあげられて赤ちゃんみたいなスタイル。そんでもって、アナル、金玉を舐めまくり、続いてはチンポを素通りして、チクビからわきの下と舐めに舐めまくる。
斜め前方の客も後ろの「異変」に気がついて、ポカ~ンとしてこちらを見つめています。女の子がムッとして、その様子を見ています。でも、こちらはそんなことおかまいなしに、全身舐めからようやくフェラチオになって、最後はゴックン!
体中から唾液の湯気がホカホカという感じですが、まあ、これにはさすがに遊びなれているぼくもビックリ。
「か、かおりさん、すごすぎる!」
「そんな…、まだまだですよ。前にいた店でやってたことですから」
それってソープ? それも高級ソープ? 店を出たあと、友達たちと飲み屋で合流したわけですが、当然、この話を熱く語りまくりますな。そしたら、みんなチンポがビンビンになって、もはやこんなところで飲んでいる場合じゃない(笑)。
というわけで、友人Aがまず抜け駆けで席を立ち、ちょっと行ってくる!
「おいおいおい」と友人B。当然、こいつも行くつもりになっていたわけですね。
さあ、40分後、友人Aが頭から湯気を出して帰ってくる。
「スゲエ! すごすぎて腰が抜けそう」
友人B、走っていきます(笑)。でも、Bが入った時は先に誰かがついてしまったらしく、一人分待ってからのサービスになり、帰ってくるのに時間がかかりました。
「なに、あの人! あんなことが世の中にありうるの?」
後は、3人でかおりさんの礼賛大会。最初に行く予定にしていたピンサロはとっくに閉店し、ただただ、飲み屋に3人男の「かおりさんスゲエ!」の声が鳴り響いていたのであった。
と、こんなにすごいピンサロ嬢と出会ったわけですが、この喜びは一瞬のうちに消えてしまう。
家に帰った後も興奮が醒めないくらいの衝撃でしたから、次に行くのに一週間も待ってられない。明日行くか、あさって行くか…とあせっていたところ、みんなも同じようなことを考えていたようで、AもBも翌日に行ってやがった。
ところが、かおりさんお休みだったそうです。これはやばい。いやあな予感とともに三日後に店に行ってみると、案の定、この日もお休み。仕方なく、他の女の子で遊んで帰ってきましたが…。
「あの子ねえ、ちょっとやりすぎじゃない。店の女の子からクレームつけられて一日でやめちゃったわよ」
ああ、たった一日の夢体験…。
2009年2月号
姉妹ピンサロ嬢との3P
姉妹ピンサロ嬢との3P
もうピンサロ・ネタはないだろう! と思って、そろそろヘルスやソープランドのネタに移行しようと思っていたある日、朝起きると突然、脳の辺境からいろんな思い出がゲロのように湧き出てきた。おそらく海馬レベルの記憶ではなく大脳皮質レベルの記憶なんだと思いますが、このゲロを整理していたら、なんと「姉妹」というネタが出てきた。これってスクープ級じゃないですか。こういう大ネタをすっかり忘れてしまっている自分の頭の悪さもさることながら、事実は小説よりも奇なり…ということが90年代にはいっぱいあったのねえ、ということにもびっくり。
というわけで、さっそく姉妹ピンサロ嬢の話ですが、実は、ぼくが出会った二人のピンサロ嬢が姉妹だったことを知ったのは、ずっと後になってから。その店に通っていた頃はまるで気がつかなかったんですね。
本来なら、姉妹というのは店側にしてみれば大変な宣伝効果のある存在です。雑誌の広告に姉妹と3Pなんて載せたら客は殺到でしょう。なんたって姉妹丼は男なら一度は経験したい夢の3P。姉に入れ~の、妹に入れ~の…。ヒーッ、考えただけでチンポがビンビン。ま、この場合はピンサロなので、姉の口に入れ~の、妹の口に入れ~の…ということになるわけですが、それはともかく、この二人が大々的に宣伝されなかったのは、妹が未成年だったからなんですね。
先に入店していた姉のナンシーちゃんが18歳で売っていました。そこに妹のカレンちゃんが入店したわけですが、二人が姉妹って…。妹、いくつ? これは警察にケンカを売っているようなものです(笑)。
実際は、姉のナンシーが19歳。妹のカレンちゃんは16歳でした。
ぼくが最初に店に行った時はナンシーだけでまだ妹はいませんでした。でも、この店に行った目的は、ナンシーの取材。実は、ピンサロ・マニアの間で彼女の名前は有名になっていまして、いわく稀代のディープスローター。タマ舐め、アナル舐め、ゴックンなんでもありの火の玉ピンサロ嬢、ということでした。
こんな話を聞いたら、即行出撃しないでは気のすまない粘着ピンサロ・マニア、ラッシャーみよし。当時五反田にあった『S』という店にさっそく出かけたわけですね。この頃の五反田は花びら回転を売りにする大型店と企画色の強い(たとえば、複数プレイや三回戦、四回戦を売りにする)小型店が共存していましたが、ぼくが行ったのはそんな小型店のひとつ。いやあ、すごかったスね。亀頭を飲み込み、カリ首を飲み込み、サオを飲み込み、ズブズブと喉の中に沈み込んでいく我がチンポ。根元まで完全に納めて上下する完全なディープスロートですよ。彼女の鼻の頭がぼくの陰毛に埋もれて、鼻息がくすぐったい(笑)。アッという間に射精させられて、ゴクリと飲まれてしまいました。
すっかりナンシー・マニアになってしまったぼくですが、しかし、一つ、問題があるとすれば彼女の性格。テクはすごいんだけど、妙に職人っぽくて色気がないんですね。そんなわけで、そろそろテクニックに飽きて、このお店も卒業だなあ…と思っていた頃に入店してきたのが妹のカレンだったというわけですね。
この店は3Pコースが売りだったんですが、いつものようにナンシーを指名すると、カレンちゃんという新人を呼んで3Pプレイをしようと強くすすめる。
そこで3Pコースに切り替えたのですが、呼ばれてやってきたカレンという女の子はナンシーと正反対で、やたらに愛想がよくて満面笑顔の感じのいい子。顔も、ナンシーが細面の一重まぶたで日本風なのに対して、丸顔、クリクリ目玉の南国風と、これまた正反対。姉妹だなんて思いませんがな。
というのはともかく、二人がフェラチオを始めると、妹の方も負けず劣らずのテクニシャンなんですよ。
いやはや、そんな二人にサオ、タマ舐めまわされて、カポカポされた日には秒殺ですよ。いつも、ラストはゴックンしてくれるナンシーの方に出していたんですが、ある日、カレンがぼくの耳元でささやきます。
「私もお姉ちゃんみたいにディープスロートやゴックンしたいから、今日は練習台になってね」
ええ? お姉ちゃん? あんたら姉妹か? これはなんともびっくリング。カレンがぼくのチンポを飲み込み始めます。奥まで入ったと思ったら「オエッ! オエッ!」
「ダメだあ。吐いちゃう」
「喉の緊張を緩めて、ポカと喉を開いて飲み込むの、見てて」
ああ、姉の喉の中にぼくのチンポが飲み込まれていく。カレンがぼくの顔を見て「すごいねえ」。姉にチンポ吸い込まれながら、妹にすごいねえ…なんて言われたらドキドキしまっせ。そして、妹が再びチャレンジ。今度は妹の喉の中にぼくのチンポが飲み込まれていく。姉は「すごいねえ」などとは言わずに、眉間に皺を寄せて職人の親方のような顔をして妹の様子を見ている。
「オエッ!」
「もういいわよ。今日はここまで。時間がなくなっちゃうから変わって!」
と言うがはやいか、ナンシーが妹からチンポを取って、カプリ。ングング、ングングとフェラチオを始め、妹はヘルプにまわって金玉を舐めます。
ああ、出ちゃう…。ドクドク。するとゴクゴクと飲むナンシー。それを見てカレンが無邪気に。
「うわっ、すごい喉が動いている!」
でも、彼女たちが同じ店にいたのは一ヶ月くらいで、姉の方は酒屋の息子と結婚して主婦に。妹の方は、別の店(ヘルス)に移って、その後5年ほど風俗嬢をしていました。その間に個人的に親しくなって、姉妹ピンサロ嬢時代の話を詳しく聞くことができたんですが、ある時、カレンが「私、今だにゴックンできないんだよねえ」と言うので、ぼくの精子でチャレンジしてみることに。
ドクドク。ゴ、ゴクリ…。
「オエッ!」(笑)
「あかんがな」とぼく。
「お姉ちゃんはえらかったねえ…」とカレン。
不思議な姉妹との貴重な体験でした。
2008年12月号
ピンサロ嬢を彼女に
ピンサロ嬢を彼女に
やはりピンサロ嬢はピンサロにありて思うもの…。こういうのは風俗遊びにおいて鉄則だと思うわけですね。たとえば、ストリッパーは舞台の上で一番輝いている。ソープ嬢もマットの上でこそソープ嬢なわけですよ。これは他のジャンルでも言えることで、クールビューティーと言われた荒川静香だって、リンクを離れたら「えっ?」。
しかし、若気のいたりというか、こちらも30代の頃は、やたら風俗嬢とプライベートで仲良くなりたかったわけですね。店長の目を盗んで気になったピンサロ嬢を誘い出し、何回かデートしましたが、実は、セックスまでしたという経験はあまりない。
つまり、冒頭に書いた「ピンサロ嬢はピンサロにありて思うもの」なわけですよ。というのも、店から連れ出したピンサロ嬢というのは意外とただの地味な女の子だったり、おばちゃんだったりして、ショックを受けることが多いんです。
でも、これにはそれなりの理由があって、80年代から90年代初期のピンサロ黄金時代のホステスさんの供給源というのは東北や九州など地方の田舎が中心でした。わけがあったり、家出したりして上京し、住むところがないから寮の完備しているピンサロに面接に行く。もちろん、仕事内容は普通のパブだと思って。すると、面接担当の店長なり部長なりが口八丁、手八丁で世間知らずの田舎者を丸め込んで、一週間後にはフェラチオしまくりの立派なピンサロ嬢に仕上げてしまうわけですね。
で、一度ピンサロ嬢になってしまうとある意味世間と隔絶された世界の住人になってしまうので、洋服や化粧、立ち居振る舞いのセンスが田舎時代のままになってしまうわけです。そして、他の社会を知らないから、店をやめてもやはり同業他店を転々とし、そのうちおばちゃんピンサロ嬢になって寿命をまっとうする、と。
今でこそ、ピンサロから他業種に転職する女の子はいくらでもいますが、当時は一度ピンサロ嬢になったら最後までピンサロ嬢というパターンが普通だったわけです。そして、歳月を重ねるほど、時代とずれていくわけですが、ぼくが知っているピンサロ嬢の中でも、綾香嬢は最強でしたね。
地方の高校を出て、単身上京し、いきなりピンサロで働き始めて、その店で10年。当時28歳。店のナンバー1でしたが、難儀の末に連れ出して、昼間にデートしてみたら、おいおいそれは西友で買ったジャンパースカートか。ジャンパースカート?
みたいな感じで、ピンサロの中でドレスを着てキラキラ輝いている彼女とは似ても似つかない。喫茶店に行っても、結局、話す内容は店長のこと、同僚のこと、客のことだけで、そりゃピンサロ以外何も知らないのだから無理はないよなあ…。
で、早々に話を切り上げて、ホテルに行ったわけですが、これがまた地味なセックスで、正常位だけで、イッたのやらイカなかったのやら(笑)。
店ではベロベロのアナル舐めに、壮絶ディープスロートですぞ。なので、そういうこともしてもらったのですが、やっぱりホテルじゃつまんない。
なんとも満足できないので、ホテルを出たらそのまま店の近くまでついていって、何食わぬ顔をして階段行列に参加し、あらためて指名して遊んできたのですが、こちらは蛍光ピンクのミニ・ドレスに銀サンダル。ミラーボールの照明がキラキラと反射し、なんと綾香ちゃんのピンサロ嬢姿の可愛いこと。ドクドクとお口に発射して、ゴックンしてもらいました。
ところが、これでやめておげばよかったのに、欲が出てしまったぼくは、彼女にさらにちょっかいを出します。と、なんと、綾香ちゃんがぼくにとりついたのです! つまり、朝起きれば電話が鳴り、出勤前に電話が鳴り、店が終われば連絡があり、要するに、俺って彼女の彼氏?
かくして、ピンサロ嬢の彼氏になったラッシャーみよし(笑)。しかし、実は、これが大変なことだったんですね。店が終わった後、彼女がよく行くスナックに顔を出すようになりますね。地元の不良ばっかりやんけ。
そして、深夜、一緒に彼女を家まで送っていく途中、むこうからやってきた酔っ払いの不良兄ちゃんたちの一群が、我々を見咎め、中の一人がぼくにからみ出す。
「お前、なんじゃい、こら! 誰の女と歩いているんじゃ、こら!」
「あなた、誰ですか?」
「誰もくそもあるかい! 人の嫁と何してるんじゃ、こら!」
「????」
商店街の真ん中で大騒ぎですがな。とめに入った綾香ちゃん、男に蹴飛ばされて、路上に顔面を打ちつけ、血だらけになる。救急車で運ばれていく綾香ちゃん。
結局、彼女、アゴを骨折したらしく、それから一ヶ月ほど入院することになったのですが、ぼくも何回か見舞いに行きましたね。そして、ある日、いつものように病室に入ると、何やら人の気配がする。そっとカーテンの隙間から覗くと、男とキスしている最中ですよ。しかも、例の野郎じゃなくて、まじめそうなサラリーマンと。
「????」
なんですかあ? その後、見舞いに行った時になにげなく聞いてみたんですが、綾香ちゃんは「友達」とか「お客さん」と言うばかり。例の男もただの知り合いと言うのですが、ただの知り合いが「俺の嫁じゃあ!」と叫んで大騒ぎするのかね?
そして、ようやく口が開かないようにしていた器具がはずれ、数センチほど唇と唇の間に隙間が出来た頃、ぼくは重大な約束をします。
「最初にリハビリさせてね」(笑)
というわけで、彼女がピンサロに戻る前に最初にお口にチンチンを入れたのはぼくだと思っていましたが、今となってはそれも怪しい…。
やはり、ピンサロ嬢はピンサロにあって思うものですよ。これ以降、好きになったピンサロ嬢がいても、必ず、デートはお店の中で。これって要するに単なる客? でも、それが平和というものじゃないですかね(笑)。
2008年10月号
本番サロンでゴム破れる
本番サロンでゴム破れる
見渡す限り本番の海! という世界を見た経験のある人は少ないんじゃないでしょうか。そもそも本番(セックス)などというものは人前でするものじゃないし、仮に他人のセックスを覗き見ることができたとしても一対一の質素なもの。何十組という男女が目の前で、後ろで右で左でバコバコバコなんて普通はありえないわけですね。
ところが、ラッシャーみよしはそれを見た。いや、見ただけじゃなくて参加した。
というわけで、今月は本番サロンについていくつかお話しをしたいと思うのですが、まずは西川口の本番サロンです。これは半年ほど前にチラッと書いたことがありますが、埼玉県、西川口といえばNK流ともてはやされ、摘発が厳しくなるほんの数年前まで本番サロンの聖地として絶大なる人気と知名度を誇っていた街。でも、実は大昔から本番サロンの地として栄えていたんですね。確か、30年前には本番サロン街としてすでに知られていたと思います。
スタイルは今あるようなヘルスっぽく仕切られたものではなく、カーテンや観葉植物、果てはただのボロ布で仕切られただけのボックス席、あるいは小さく仕切られた和風スペースという店が中心で、こういうのが全体の9割を占めていました。たいてい小型店で、ホステスも6、7人というパターン。
ところが、数件だけ大きな店があって、こういうところは普通のピンサロと同じレイアウトで本番をしていたんですね。席と席の仕切りがなし! つまり、前を見ても後ろを見ても右を見ても左を見ても客とホステスが本番真っ盛り! 席が10卓、15卓と数列に分かれてズラーッと並び、ある客は抱っこちゃんスタイルで、ある客は通路に膝をついて仰向けに寝させたホステスを突きまくり、ある客はソファーの上で正常位。まさに本番の海!
ぼくが行ったのは20年ほど前。名前を「ブルー○○」といいましたな(内緒)。入り口で8千円を払って席に案内され、そこで目撃したのが今説明したような景色でしょ。そりゃビックリしますがな。で、ホステスさん(35歳前後)がついて、さっそく本番。こういうところですから、パパッとフェラして、ササッとゴムをつけて、抱っこちゃんスタイルで上からズボッと入れられる。
でも、ぼくゴム本番って苦手なんですよ。最初は立っていても、しばらくピストンが続いているうちに萎えてくる。この日もどうせダメだろうなあ…なんて思いながらズコズコしていたら、途中からなぜかむちゃくちゃ気持ちよくなってきた。ああ、粘膜と粘膜がヌルヌル。ドピュッ、ドクドク!
なんのことはない、コンドームが破れて生ハメになった結果、いきなり早漏状態になって中出しした…ということですよ。
あわてるぼく。ごめん、すいません、大丈夫ですか?
「あっ、全然。こんなのよくあることだから」と、トイレに殺菌処理をするために走っていくホステスさん。
よくあること…? 戻ってきたお姉さんに聞いたら、ローションをつけたコンドームというのは最初はスベリがいいのだが、時間が経過して乾いてくると逆に摩擦係数があがって、破れやすくなるんだそうです。怖いですねえ。妊娠は大丈夫なんでしょうか。病気は大丈夫なんでしょうか…。
というのが「本番の海」初体験記。その後、この店には何度もお世話になりまして、たとえば、風俗漫画家の平口広美さんと行った時など嵐で暴風雨。店についた時にはびしょ濡れですよ。すると、ホステスさんがどうせここじゃズボンなんか要らないだろう…と、下半身全部脱がせてボーイに渡してしまい、ぼくと平口さんスッポンポンでソファーで本番(その間に乾かしてくれました)なんてこともありましたな。
というわけで、何度も通った西川口でしたが、なにせここは遠い。近くで本番できるところはないのかと探し始めたわけですよ。そうしたら、灯台下暗しとはこのこと!
事務所のあった高田馬場に本番サロンがあった。高田馬場といえば今なら中国人本番エステの聖地。しかし、その頃はヘルスが有名で「サテンドール」とか「ルモンド」などの名前が懐かしいですね。特に「サテンドール」はAVアイドルの早川愛美ちゃんがいた店で、全国区の知名度がありました。でも、ピンサロというと昔ながらの地味~な店が数件あっただけで、当時、ぼくは眼中にまったくなかったわけです。
ところが、その中の一軒に偶然入ったら、本番の…。本番の…海じゃなくて、水溜りみたいなのがプチっとあった(笑)。
こんなところにもセックスがあったんだ。きっかけは店に入ったら、新人の女の子がついたこと。新人で何も知らないというので、フェラチオのやり方をネチネチとしつこく指導し、金玉も舐めるんや、ほら、ケツの穴はどうした! とやっていたら、女の子が泣き出したんです。そして、「ワーン!」と号泣しながら、奥の室に走っていった。
やばい! と思って、逃げ出す支度をしていたら、数分後にいかにもベテランのお姉さんがやってきたわけ。
「お客さん、あの子新人なんだからもっとやさしくしてあげてくださいよ」
「すいません」
「お客さん、きついから新人じゃサービスできないので私でいいですか?」
「はい、それはもちろん」
と、返事をするが早いか、スルスルスルとチ○ポにコンドームをかぶせ、2、3回フェラをして勃起したところで、上からズボッと本番。
ええ! 本番? 怒られると思っていたら、なんと本番ですよ。結局、近場に本番場所を見つけ、その後何度か通ったんですが、本番するのは彼女だけで、彼女がやめたら本番サービスもなくなりました。でも、これは貴重な体験でした。
その後、一年ほどして赤羽の普通のサロンでこのお姉さんに再会したんですが、当然、この時は本番なし。でも、他の客に対してなぜか誇らしげなぼく。
俺はこのお姉さんのマ○コにチ○ポ入れたんだぞ。
口で抜いてもらった後、家路につきながら、システム、システムした店もいいが、女の子次第という店も味わい深いものだとしみじみ思ったのでした。
2008年8月号
ピンサロの衛生問題
ピンサロの衛生問題
先日、遅ればせながら映画『BABEL』を見たわけですよ。風景がきれいやなあ…とか、菊池凛子のミニスカがええなあ…みたいな感想とともに、印象に残ったのが、ブラッド・ピットが瀕死の嫁さんのお世話をするシーン。モロッコでバス旅行中に偶然狙撃された嫁さん。近所の村で救助を待つんですが、まあ、いかにもアメリカ映画らしくここで愛が盛り上がる、と。ところが、愛を語り合っているんですが、嫁さんは体を動かせないからオシッコもらしちゃうわけですね。オシッコの世話をするブラピ。
というわけで、人はどんな美しい局面においても「下」から逃れることはできない!
という真実に愕然としたわけですが、さて、それとは関係ないけど(関係ないなら書くな!)、ピンサロを否定する人たちの大きな根拠の一つが「衛生」というものなんですね。シャワーがない、他人のチ○ポをしゃぶった口でキスをする、病気が蔓延している! 確かに、これらはまったくの事実で、気になりだしたらとてもじゃないがピンサロになど行けたものじゃない。
しかし、セックスというか性行為というものは本来、衛生の対極にあるものじゃないですか。究極の「下」なんですね。つねにベトベトしたものや臭いものがつきまとっている。
そこで、「そんなの関係ねえ!」と平気で店に通うのがピンサロ者という人種なわけです。だって、驚いたのは、1987年に神戸のソープ嬢がエイズになって日本中にエイズ・パニックが広がり、どこの風俗店に行っても閑古鳥が鳴いていたあの時、巣鴨の人気店に行ってみたら、パニックって何? という感じでいつものようにズラーッと客が行列していた!
ジス・イズ・ピンサロ・マン! そして、この私、ピンサロ・マンの一人であるラッシャーみよしは錦糸町のある店の前に立っていた。目的は、大名コースを体験する、ですね。
大名コースってなに? 本来、ピンサロという業種は、イメクラなどと違って、オプションやコースを設けないのが基本です。そういうものをうたっている店はだいたいダメな店というのが定説になっていましたが、この時は何かの雑誌で読んだ大名コースが気になって仕方なかったわけです。
お姉ちゃんが2人つくのが侍コース。3人つくと大名コース。料金は単純に一人分×3で、この時は2万1千円だったかな。
受付で大名コースを所望する。ところが、受付の男がびっくりして、店長のところに飛んでいくではないか。そして、二人でヒソヒソと何か相談している。おいおい、これってひょっとして宣伝用のヤラセ企画だったのか。
しかし、しばらくして受付が戻ってくる。
「すいませ~ん、大名コースのお客さん初めてだったもので」
そして、待機ボックスでしばらく待たされていると、従業員たちが空いているソファーを集めてゴトゴトとホールの真ん中に移動させている。他の客たちは何事が始まった? ですよ。大きなソファーを4つそれぞれ向かい合わせに並べて、ベッドのようなものを作ると、さて、ここで受付がぼくを向かえに来て、店内に朗々と響き渡る声で叫んだものである。
「大名コースのお客様、ご一名様、ご案内!」
ボーイにうやうやしく案内されて、ホールど真ん中の急造ベッドの前に行く。
「靴を脱いでください」
言われた通りにして、「ベッド」にあがるが、なんだこれは、もう少し端っこにセットするとか方法があるだろう…。ホールのど真ん中なので、四囲が普通の客席なんですよ。つまり、他の客や女の子たちに取り囲まれている形。で、そこにやってきた女の子たち3人。
「せっかくだから全部脱いじゃおうか」
え~っ! これってなんかのショー? 俺、これから白黒ショーするわけ? 客たちは好奇心まんまんでこちらを見ています(笑)。そして、始まる4Pプレイ。
そりゃ、まあ、確かに3人のお姉ちゃんに体中舐められるわけだから気持ちはいいですよ。でもなあ…。なんで「公開」なわけ? 他の客たちも自分のサービスのことなんか忘れて、こちらばかり見ていますね。
実に40分間、さらし者になったラッシャーだったわけですが、さて、実はこの話にはオチがある。帰りの道、満員電車に乗って新宿に向かったわけですが、季節は冬で、暖房がムンムンと効いているんですよ。
あれ? なんか俺、臭いんでいすけど。つまり、先ほどまで体中舐められていたわけじゃないですか。シャワーなんかなくてオシボリで拭いてもらっただけじゃないですか。暖房で唾が臭い始めたんです。体中から唾のニオイがモワモワモワーッと立ち上がり、隣のサラリーマンが露骨に眉をしかめます。
衛生が気になる人は絶対に行ってはならない大名コース(笑)。
というか、すべての衛生問題がオシボリ一本にかかっているピンサロってどうよ? という感じですね。指を拭くのもオシボリ、チ○ポを拭くのもオシボリ、精液を出すのもオシボリ。このオシボリで顔を拭けるのがピンサロ者。拭けないヤツはお引取り(笑)。
しかし、実は、この話にはさらにオチがある。翌日、オシッコをすると尿道がヒリヒリするではないか。やばい…。もらったか…。その翌日になって決定的にビョーキ決定ですね。膿の出が悪い(って変な表現?)から、淋病ではなくてクラミジアだろうと判断しましたが、とりあえず病院へ。イキツケの泌尿器科(笑)。余談ですが、性病科はボッタクリが多いのであまりオススメできません。
でもねえ、お姉ちゃんを責められないんですよねえ。クラミジア菌って、性器だけじゃなくて、喉の中もお好みの住み家なので、こちらの抵抗力が落ちていたりするともらってしまうことがある。後、花びら回転のシステムでは、女の子たちがあちらのテーブル、こちらのテーブルでフェラチオをしているので、本人は健康でも不届き者が一人でも混ざっていると、媒介の役を果たしてしまうことがある。だから、ぼくは女の子もお店も絶対に責めませんでしたね。だって、そういう仕組みなんだから仕方ないじゃないですか。ピンサロ者であるならば、そんなことは全部前提です。「病気なんかなんぼのもんじゃい!」の心ですね。するとめったなことでは病気にはなりません!
2008年6月号
ピンサロの天使たち
ピンサロの天使たち
今月もピンサロがもっとも過激でとてつもなく熱かった80年代末から90年代初頭の頃について書きますね。
前号でも書きましたが、この時代というのは花びら回転が全盛期だった頃で、このシステムによって女の子たちは前代未聞の指名競争の渦中に放り込まれ、常に心理的に追い込まれているような状態が続いていたわけです。なので普通だったら考えられないようなサービスをしたり、体に無理をしてでも客の数をこなすようなピンサロ嬢が何人も出現したわけですが、そんな中で現れたのが例のピンサロ武田信玄、生尺山脈と呼ばれたリンダさんだったわけです。あと、彼女以外にも、ディープスロートしたまま舌をグイッと伸ばして同時に玉舐めをしたチャコさんとか、アナルを舌でドリルのようにかきまわしたアカリさんといったつわものたちが何人もいましたが、思うに、ぼくを感動させたのはワザのすごさよりも4千円とか5千円の料金でここまでしてくれるか! というメンタル的な部分だったように思います。
感動した一、二の挿話。まずは赤羽にあった『ダーリング』という店のモモちゃん。ぼく、時間内にイカなかったんですよ。そしたら、彼女、土下座せんばかりにあやまって、あげくのはてに自分がお金を払うから延長していってくれ! と懇願し、なんと本当に財布を出して、延長! その二は、泣き尺ですね。みなさんは女の子にしゃくりあげながらフェラチオをされたことがありますか? これは池袋にあった『S』という店の話。あまりに行列ができすぎて警察の不興を買い、あっという間に姿を消した店でしたが、とにかく女の子に厳しい。営業中でも女の子に罵声があびせられ、店内はいつも阿鼻叫喚。根性入ってない客だったらチンポが縮み上がるような店だったわけですが、ここでぼくがいつも指名していたのがヨウコちゃんというホステスさんでした。まだ20歳そこそこの可愛い顔の女の子でしたが、テクはないけど一生懸命なのが気に入って指名していたわけです。
ところが、ある日、いつものように指名して席で待っていると、ヨウコちゃんが泣きながら現れた。子供のようにヒックヒックとしゃくりあげながら隣に座って「ごめんなさい」とあやまる。どうやら、ぼくの前についた客へのサービスのことで散々怒られたらしい。
それでも無理やり笑顔を作って、しゃぶろうとするんですが、どうしても嗚咽が出てしまうのね。
「あっ、ごめんなさい、ごめんなさい」
涙のたまった目をぼくに向けて、あやまり続けるんですよ。
あ~た! これでビンビンにならなかったらウソでしょ!
「いいんだよ、いいんだよ」と慰めながらもチンポは猛烈に勃起。それをしゃくりあげながら舐めるヨウコちゃん。すぐにイキそうになりましたが、ここで漏らしては男の沽券にかかわります。つうか、もっと楽しみた~い(笑)。イキそうなのを我慢して、散々舐めさせましたね。そして、最後の最後に決めの一言。
「ああ、イキそう。全部飲んでね」
と、この自分の冷酷な言葉に自分で反応してビンビンになってドクドクドク(鬼畜)。
ヨウコちゃん、目に涙をいっぱい溜めながらぼくの精液を飲んでくれました。
いやあ、感動…。って、ちょっと違う? というわけで、感動話(?)をいくつかあげさせていただいたわけですが、女の子自身を可愛く思って通ったこのような場合とはまた別に、なんでもやる気なのをいいことに「とことんやらせる!」を目的に通ったホステスさんというのも何人かいました。それが先に書いたアナル舐めのアカリさんですね。
この人は巣鴨・某店のもともとは中堅どころの地味なホステスさんで、年齢は30歳前後、指名客は日に一人か二人といった目立たない存在だったんですが、たまたまぼくの席について、彼女がリクエストすればなんでもしてくれるホステスさんであることを発見しちゃったわけですね。
「即尺してくれる? アナル舐めしてくれる? ゴックンしてくれる?」
頼んだことはなんでもOK! ありえない無理難題の連発ですよ。もう、うれしくなって、そこら中の新聞・雑誌に書いたら、えぐ~いマニア系の客が殺到して、あっという間にナンバー1になってしまった。つい先月までいつでも指名できた人が、1時間待ちとか2時間待ちになり。彼女専用のボックス・シートというものもできていた。なんとも自分のせいで遊ぶのに苦労するハメになってしまったのですが、でも、いろんな客にいろ~んなサービスを仕込まれたようで、一ヶ月ぶりに会ったら完全無欠のマニア・ピンサロ嬢が出来上がっていた。
まずオシボリがテーブルに用意されていない。これすなわち「即尺」の意思表示ですね。ところが、実は、即でサービスが始まるのはチンポからじゃなくてアナルから。キスもほどほどにシックスナイン・スタイルになると両手でグワッとこちらのアナルを広げ、ベロベロベローッと舐め始めるアカリさん。あげくの果てに舌をすぼめてドリルのようにねじ込み、舌を使ったアナル・ファックですよ。ひえ~っ! と散々悶絶した後は、金玉から内股から涎まみれに舐めまくられ、フィニッシュはもちろんゴックン。何度か通っているうちにぼくはこんな要求してましたね。
「イッた後も口を離さないでね。このまま二回目出したいから、そのまま、そのまま」
抜かずの二発。本来、一発目で女の子は席を立ちますから、ぼくはズルして二発出していた仕組みです(笑)。
いやあ、彼女の客はまさにぼくみたいな客ばかり。さすがに彼女、たまにイヤになることがあるらしくて、店を変わるのですが、そのたびにどこから情報を拾ってくるのか常連客もぞろぞろと後をついていきます。結局、アカリさん40歳で引退するまでず~っと金魚の糞みたいにぼくらを引き連れて店を転々としていました。
「一人終わって、入り口を見たら、もう次の客が待ってろよ! という顔をして待機してるの。さすがにもう無理と思ったのよ」と彼女は言ってましたが、最後はあきらめていましたね。
「これが私のスタイルだからしょうがないわよね」
えっと、ぼくにも責任がありそうな…。
2008年4月号
生尺山脈とトルネードフェラ
生尺山脈とトルネードフェラ
さてさて、前号で書いた巣鴨の『E』なるピンサロ。時代とともに五反田、荻窪とピンサロ人気地図はいろいろと入れ替わりますが、巣鴨というお土地は、いつの時代もピンサロ・マニアの間では聖地と呼ばれ、最近10年でもたとえば事情通に「東京でおすすめのピンサロは?」と聞けば、巣鴨ご三家という返事が返ってくるはすです。
巣鴨ご三家! おもしろいですねえ。『マドンナ』『ビッグワン』『安全地帯』。ぼくもずいぶんお世話になりましたが、そのもうひとつ昔の話になると、先に書いた『E』という店と、その斜め向かいに位置する『M』という店(『マドンナ』と書いとるやんけ、なんで伏字?)を中心に巣鴨はピンサロ戦争の火花を散らしていたわけです。
それは本当にすごかった。両店の階段にはオープンの一時間以上前からズラーッと行列ができ、商店街のこの一角はなにごとぞ? という大騒ぎの毎日で、ぼくは週に何度もこの2店に足を(チンポを)運んでいたわけですね。
で、『E』という店の話の続きですが、最初に指名していたのはKちゃんというなんでも言うことを聞いてくれる女の子で、それこそケツの穴を舐めさせてはゴックン。ゴックン、ゴックン、はあ~ゴックン。
「Kちゃ~ん、今日はパンパンに溜まってるからよろしくねえ」
「わあ、うれしい。ありがとう、いっぱい飲ませてね!」(と顔では笑いつつ、目は笑ってない→大勃起)
なんてことをして楽しんでいたんですが、ある時、ふと隣のテーブルを見ると、まるで頭を動かさない女がいる。なんだこれは? チンポくわえたまま寝ているのか? と、不審に思って見ていると、突然、客がウウッとうめき声を上げ、腰を突き上げた。そして、二、三回尻をプルプルと痙攣させると、なんと、女は客の股から顔をあげ、オシボリにダラーッとザーメンを吐き出したのであった。
射精している! 一度も頭が上下していないのに客をイカせた!
これは衝撃の瞬間でしたね。気になるので、その後も彼女の様子をチェックしていたのですが、どの客を相手にしてもその動かざること山の如し。
ピンサロ武田信玄だ! と瞬間にしてキャッチ・コピーが浮かんだのですが、このコピーは数日後に「生尺山脈」に変わる。
ついに、辛抱たまらなくなったぼくはKちゃんを捨てて、彼女を指名してしまったのです。彼女の名前はリンダさん。指名してみると、すごく大きな人で身長170センチを軽く超えている。それがテーブルからテーブルへとオシボリを持って移動し、あちらの席で生尺、こちらの席で生尺。これはもはや「生尺山脈」と呼ぶ以外に形容の仕様がないじゃないですか。
そして、衝撃は初くわえの瞬間に始まったのでした。
「いらっしゃいませえ。さっそくサービス始めてもいいですか」
「あっ、よろしくです」
ング~ッと飲み込まれていくチンポ。どんどん飲み込まれていって、ついにリンダさんの唇がぼくの土手に張り付き、ぼくのチンポは完全に喉の中に収納されます。
「すげえディープスロート」
と、そのままの状態で舌がチンポに巻きついて竜巻のようにまわり始めたのです。頭は竜巻に合わせて数センチだけゆっくりと上下している様子。おそらく外から見てもわからないと思います。
どんどん高まってくる射精欲。あっ、ダメ! 出ちゃう! ツルツルツルーのドピュドピュドピュ。
なんのことはない、ウウッとうめき声を上げ、腰を突き上げて、尻をプルプルと痙攣させていました(笑)。その間3分!
その後、彼女はこの特殊なワザが話題になり、トルネード・リンダと呼ばれて、大ブレイク。武田信玄が山脈になり、そして、最後はトルネードになりました。まだ野茂英雄投手がデビューしていなかった頃のこと。
こういう伝説芸が誕生する背景として考えられるのが、1990年前後の風俗界におけるピンサロ同士の競争の激しさです。80年代後半に誕生した花びら回転というシステムによってピンサロは大量の客を扱うノウハウを獲得しました。その一方で、ピンサロ嬢たちの給与体系は、月の指名の数によって一日の保障ベースが変わるという形になり、たとえば指名数月に30の人が一日1万円の保障であるのに対して、300の人なら3万円になるわけですね。これだけで月額30万円と90万円の違いになります。
このスタイルが女の子の間の指名競争の激化を招くことになり、ものすご~く働くホステスさんたちが登場してきたわけです。当時のナンバー1だと、月指名600。毎日20本以上の指名ですね。こうなるとある意味ワーカホリックの世界ですから、伝説のホステスというのがいっぱい生まれてくるわけです。
一日でも休むと、20本の損失ですから、この人たちは絶対に休まない! 40度を超える熱で一日中チンポくわえて、終業とともに救急車で運ばれていって、その翌日には普通に出勤してきたホステスさんなんてのもいましたね。
まあ、リンダさんの場合には、ご本人の「道を究めたい」という労働倫理の部分も強かったようで、その後、『E』をやめた後、赤羽のピンサロで偶然再会したのですが、この時などピンサロの中で高級ソープ・プレイ。リンダさんも脱ぎますが、こちらも服を全部脱ぐんですよ。丸見えの店内で(笑)。他の客は何事が始まるのかと目を丸くして見ていますね。そんな中、ぼくは頭のてっぺんからケツの穴、足の指まで舐められ、パイズリまでされて、例のトルネード・フェラであっという間に昇天。
他の客は、もはや自分のサービスどころじゃないですよ(笑)。目の前の光景ってありえないですもん。
その後もリンダさんとのお付き合いは何年も続きましたが、間違いなく一番すごかった人でした。
2008年2月号
ピンサロ鬼畜道「汚辱と吸収」
ピンサロ鬼畜道「汚辱と吸収」
さて、前号ではすっかりピンサロにはまってしまった青春時代について書いたわけですが、ぼくのピンサロ遍歴は、職業的な風俗ライターになって沈静化するどころか、ますますどえらいことになっていくのでした。
先月の原稿に「ピンサロの盟友」「汚辱と吸収理論の実践者」という人物が少しだけ登場しますが、実は、この男、最初の頃は盟友どころか、あきらかな敵対者としてぼくの前に現れた人物だったのです。その頃、ぼくはセルフ出版(白夜書房の前身)から発行されていた日本初の風俗専門誌『元気マガジン』という雑誌で風俗コラムを書いていたのですが、若気のいたりで、わずかなピンサロ体験しかないにもかかわらず、あたかもピンサロの権威の如く、威張り散らして原稿を書いていたんですね。
それにクレームをつけてきたのが当時読者だった彼というわけです。投稿ネームはミスターX。実名を出したらやばい有名な若手音楽家で、まあ、芸術家には変人が多いといいますが、この男がまた粘着質で(笑)。ぼくの記事のひとつひとつに文句をつけてきて、つまるところ、ラッシャーみよしは自分の百分の一もピンサロを知らない、と。
これを『元気マガジン』の当時の編集長がおもしろがって、ぼくにミスターXと誌上でピンサロ対決せよ! と命じたわけです。対談の日は一ヵ月後。
さあ、大変。言われてみれば、ぼくなんか渋谷の例の『S』を知っているだけですよ。本当にミスターXの百分の一も店を知らないかもしれない。
これはヤバイ! というわけで、ぼくはここから猛烈なチャージをかけたわけですね。とにかく、毎日、どこかのピンサロに行く! と決め、しかも、一日一軒じゃ間に合わないから、二軒、三軒とハシゴをする。そりゃもう、赤羽、王子、巣鴨、大塚、小岩に亀有、錦糸町から中野、荻窪、吉祥寺と東京のピンサロ地帯と呼ばれたところはすべて行きました。
当時の吉祥寺には本番店が多く、生・中出しの店があったり、2回戦制なんだけど、本番の娘とフェラチオの娘を選べて、一発目は口で、二発目はマ〇コみたいな贅沢なことをしたり、本番といえば当時から西川口ということで行ってみたら、そこが大型店で、しかも、席を仕切るものなし! 見渡す限り本番の海。前も後ろも左も右も本番。だっこちゃんスタイルでハメている客、通路に膝立ちしてバックからお姉ちゃんのマ〇コをズコズコ突き立てている客、正常位の客…と、まさにチ○コ、マ〇コの阿鼻叫喚地獄といった風で、愕然としながら腰をふっていると、急に亀頭が生暖かくなって、気持ちよくなり、ドピュッと射精したら実はコンドームが破れていたのでしたあ! みたいなことがあったり、それはもう毎日、毎日、ピンサロに通いつめたものだから、チ〇ポが唾液と愛液でいつもふやけていました。
と、これだけ行きまくったピンサロでしたから、そのうち、マスコミにはまったく出てこない穴場の超過激店におのずと出会うようになってくるわけです。
それが巣鴨の『E』でした。この店には完全にハマりましたね。まず入店するのに1時間かかる。階段にズラーッと行列ができて、みなさん「日刊ゲンダイ」などを読みながら辛抱強く店内に入れるのを待っているわけですね。で、ようやく店内に入って、さて遊べるかといういと、今度は待機ボックスというところで待たされることになる。初めて店内を見た時の強烈な印象は忘れません。
大音響の音楽に、がなりまくるマイクの声。それにあわせて男子従業員たちが「押忍!」と気合の叫び声を上げ、オシボリやビールを持って走り回り、女の子たちはといえば、一心不乱に髪を振り乱して、猛烈な勢いでフェラチオ。「○○番テーブル、スタンバイ」と女の子が手を上げると、すかさずリスト・マイクががなり立て、女の子は次のテーブルに半裸のままで走っていき、挨拶の間もなくカポッとくわえて、ガボガボガボとフェラチオ。数分、するとそのテーブルからもザーメンしぶき。
うわあ! なんじゃ、これは! そりゃびっくりしますがな。さらに観察していると、トイレでほんの一分ほど休んでいただけの女の子が従業員に襟首つかまれて引きずり出されてくる。
「てめえ、チンタラさぼってんじゃねえよ!」
て、てめえ? ヒエーッ! で、ようやくぼくも席に案内されたわけですが、何発抜いても、次から次に女の子がやってきてチ〇ポにむしゃぶりつくの。
こんな店が東京にあったんだ…。下調べではミスターXはこの店を知らない様子。ここでぼくは初めて勝利を確信したわけですね。
しかし、実を言うと、困ってしまったのが、お気に入りができてしまって、他の店をリサーチに行っても、必ず、一度はこの店に来ないと一日が終わらなくなってしまったこと。最初のお気に入りは、Kちゃんという女の子でした。27、28歳ぐらいで、当時、店の指名3番手、4番手といったところ。どの店でも、たいてい1番と2番は若い美人さんで、3番、4番あたりはサービスで指名をとる人たちという構図です。ぼくの狙い目はいつも3番、4番なんですが、このKちゃんという人がそれこそお願いしたことはなんでもしてくれる。
「即尺がいいなあ」
「アナルも舐めて欲しいなあ」
「ゴックンしてね」
だから、ぼくのテーブルだけはオシボリが一本もいらないのです(笑)。当時のピンサロでは、オシボリ・チェックと言って、ホステスがさぼっていないか調べるために、終わった後、ホステスが精子を吐き出したオシボリを店長のところに持っていって、それを店長が指で確かめてから初めてOK! なんてところもありましたが、幸いに、この店にはオシボリ・チェックはありませんから、精子は全部お腹の中へ。
この後、ぼくはこの店で数々の名人・奇人に出会うことになりますが、それはまた次号でね。
2007年12月号
ぼくのピンサロ事始
ぼくのピンサロ事始
オッス! ご無沙汰っす。「ラッシャーみよしの泥沼オン・ザ・ロード、変態プロブレム」という連載が終了してから2年ほどの歳月がたちましたが、久々に『投稿キング』に帰って来た中年です…、いや、初老か(笑)。前回の連載の時は、リアル・タイムでぼくが出会った変態女たちとの、見た目は気持ち悪くもチ〇ポは気持ちいい交合の様子を赤裸々に綴っていたわけですが、あの頃はすでにド変態になっていたラッシャーみよし。書くことといえば、ウンコ・マニアの女子大生との食糞攻防戦とか、乳首にタコ糸つけられてコンビニの前に繋がれた話とか、まあ、一般的に言えばキチ○イみたいなプレイのこばかり書いていたわけですね。
でも、今回の連載ではそんなぼくのもっと若い頃の話。まだ、SMもスカトロも知らなかったウブな時代のことがテーマになります。とは言っても、やっぱり振り返ってみると、ぼくの性癖はこの頃から十分に変態なんですね。変態殺人鬼レクター博士の『羊たちの沈黙』に前史としての『ハンニバル・ライジング』があるように、変態ラッシャーみよしにも「ラッシャー・ライジング」があったわけです。20代のぼくにとって風俗とはピンサロのことでしたが、当時「普通」と思って通っていたピンサロも、今から考えればあきらかに変態性欲の捌け口になっていた。当時、ピンサロ通いの盟友(アタシ以上のマニア)がピンサロについて「汚辱と吸収」という概念を提案していまして、これは何かというと、汚いチ〇ポで口、喉を汚し(汚辱)、ザーメンをすべて飲ませること(吸収)でピンサロ嬢を徹底的に肉便器と化す、ということです。あきらかなサディズムですが、彼はこれぞピンサロ遊びの醍醐味とうそぶいていたわけですね。で、一方、ぼくの方のテーマはこれにくわえて「公衆便所」というものでした。ピンサロは公衆便所であり、ピンサロ嬢は公衆便器である、と。可愛い○○ちゃんと店外デートしたいとか、恋人ムードで気持ちよくなりたい…というのはこれっぽっちもなく、ただ、邪悪な妄念に突き動かされてピンサロ通いしていたのでありました。ああ、黒い(笑)。
とはいえ、そんなぼくも最初から自覚的に邪悪だったわけではありません。えてして、自分の悪しき性癖に気がつくのはさんざんなことをしておいたずっと後になってからですが、最初はぼくだって素直にピンサロに感動を求めて通っていたわけですね。ただ、その感動の質が…。なんとも…。どうしようもない…(笑)。
というわけで、しばらくはピンサロの話につきあってもらうことになりますが、ぼくが初めてピンサロに行ったのは、24歳の時で、まだ童貞でした。渋谷にあった長襦袢サロン『S』というお店で、この店がとにかく忙しい。あまりに忙しいものだからホステスさんたちは長襦袢の帯をしめる間もなく、前をはだけてオッパイ、陰毛丸出しで店内を駆け回っていたわけです。童貞がこんなものを見れば、チ〇ポはどえらい勃起ですよ。しかも、ピンサロがどういうサービスをするところかよくわかっていないものだから、隣に座られていきなりチ〇ポをパクッとくわえられた日には、切ないほどに勃起、勃起、勃起。
なんですが、はやる気持ちと裏腹にチ〇ポはちっとも射精してくれない。悲しいことにオナニーのしすぎで、手コキ慣れして、口の刺激では発射できなかったんですね。
その時、ぼくについてくれたホステスさんはミカさんという27、28歳の女の人で、いかないぼくのことをいっしようけんめいになってしゃぶってくれました。で、ようやく発射できたのは通い始めて5回目。ドクッドクッとミカさんの口の中に精液を吐き出し終わると、ミカさんの目が涙ぐんでいます。
「ありがとう。よかったね、ミカのために頑張ってくれたのね」
ぼくも涙ぐみ、二人で抱き合って泣きました。ね、美しい話じゃないですか。ところが、この後しばらくして、他のピンサロに行くようになって、大変なことに気がついた。
ミカさんはオシボリでふかない、ザーメンも全部飲んでいた!
そのことに気がついて、様子を見ていると、ミカさんはどのお客に対しても同じサービスをしているんですよ。一日に20人から30人射精させている計算として、一人3CC。多い時に一日に90CCのザーメン。一ヶ月で2700CC。約3リットルですね。一年に一升瓶20本のザーメンを飲んでいる計算になります。恋人ではなく、見知らぬ汚いオヤジたちのザーメンを…。
これを想像したとたん、ぼくの中の何かが音を立ててはじけます。
公衆便所という言葉が頭の中をグルグル駆け巡ります。
ビンビンです。もうそのことばかりを考えて、毎日、毎日、オナニーしますが、ミカさんのところに行く一週間前にはピタッとオナニーをやめます。理由は明白。一週間分パンパンに溜めて飲ませるためです。それはもう辛抱するのは地獄ですよ。一週間目には金玉からザーメンがにじみ出すくらいの勢いで、股間が青臭くなりますから。そして、それをミカさんの口の中にドクッドクッ。あまりの量にミカさんは目を白黒させて飲んでいます。そして、発射し終わると「ごちそうさまあ」と言うんですが、ザーメンが喉にねばりついて、声がネバネバしているの。
うひゃあ、たまらんですばい。こうなるとアタシの邪悪な欲望はエスカレートするばかり。ある時、駅のトイレで小便をしようとチ〇ポを見てみると、亀頭のまわりにビシッと恥垢がリングのようにこびりついているんですよ。それを見た瞬間チ〇ポがビーン。これを、これをミカちゃんが…。と思うと、もうダメです。そして、店から出てきて再びトイレに行き、チ〇ポを見ると、あの白いリングはきれいさっぱりと掃除されて、ミカさんの口の中へと消えていたのだった。
母さん、ぼくの恥垢はどこへ行ったのでしょう。ミカさんのお口の中に消えていきました。ぼくはこれからずっと彼女を愛し続けることにいたします。
と、手紙は書かなかったけれど、これ以来、ピンサロはアタシのSM妄想を実現するための遊園地と変ります。ぼくが行くところピンサロ嬢の涙あり。射精の時代が始まります。